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第2回掲載作家 & クラウドファンディング支援者Rucocoさん
第2回タビノコトバのクラウドファンディングで支援をしてくださった方にインタビューをする企画の第1弾。
その1回目は、タビノコトバvol.2の掲載作家でもあるRucocoさん。
500本近いダイビング歴のあるRucocoさんが、ダイビングの旅で訪れたペリリュー島を旅している中で知ったペリリューと日本の歴史。
「何も知らずにいたら、のどかで美しいビーチに映っただろう」という言葉が印象的な掲載作品は、インタビューの最後に全文掲載しています。
どうして旅を文章にするのか、旅をする理由、タビノコトバについて話を伺いました。
「写真と文章」 これこそが私が書いてきたこと
ーよろしくお願いします。Rucocoさんは掲載作家でもあり、クラウドファンディングの支援者でもあります。そもそも、タビノコトバの企画はどうやって知ったんですか?
instagramのフォトコンテストを探していたら、タビノコトバの募集が出てきて知りました。
旅行記って、何時の飛行機に乗って、なにを食べて、こんなものを買ったっていうものが多いじゃないですか。私は20年くらい前に初めてHPを作ったときから、そういう旅行記ではなく、自分が感じたことを綴ったエッセイのようなものを書いていたんですよね。写真と文章。そして旅行記ではなくエッセイ。これこそが私が書いてきたこと、それが生かせる企画だと思い、締切1週間くらい前でしたが、急いで書きました。もうちょっと前に知っていれば3件書きたかったですね。
ーこの作品は、いつ頃の話なんですか?
2010年くらいです。
ー今まで様々な場所を旅してきた中で、ペリリューの話を選んだ理由はありますか?
いつもは、お気楽な旅が多いんです。暑いところに行って、ダイビングをして、ビール飲んでって。ただペリリューだけは、個人的にずっしりとくるものがあって、印象に残っていたので書きました。
恥ずかしながらこの土地の歴史を詳しく知らずに訪れたのですが、現地でいろいろな場所を巡ってみて、日本人は一度行ってみたほうがいいのではないかと感じましたね。
ー帰ってきて時間を置いてから文章にしてみたことで、なにか感じるものはありましたか?
きっとあの島って、今も変わってないんだろうなと思うんですね。なぜなら、ペリリューの島まるごとが戦争遺産のような感じなので、現地の人々が弔いをしてくれているから。
私も今回この文章を書くにあたって、改めて色々と調べてみたんですが、日本人がやっていないことを、あの島の人々がやってくれているんだなという感謝の気持ちを改めて感じましたね。
ー私もいろいろな土地を旅していく中で、過去の歴史と今が繋がっているんだと感じる場所がけっこうあって、そういう部分がとても共感しました。
同じ場所に行った旅行者の中で一番きれいな言葉で表現したい
採用が決まってから私たち編集者とのやりとりが始まり、最終的にバージョン6くらいまで校正・編集をしました。時間をとって取り組んで頂いたんですが、その過程はRucocoさんにとって率直にいかがでした?
第三者の目で作品を見てもらうことで、色々な視点があるんだなと学びながら取り組ませてもらいました。
1000字でここまで編集するってことは、長編小説の編集者さんはどれだけ大変なんだろうと、そんな想像をしましたね。こうやって第三者に編集作業をしてもうらうことが初めてだったので、強くそう思いました。
ー書いているときの苦労や、気をつけたことなどはありましたか?
こういう内容なので、間違ったことを伝えられないなということは気を遣いましたね。なので色々な文献を調べました。
ー今までも旅の文章を書いているということですが、旅を文章にする楽しみや喜びはありますか?
同じ場所に行った旅行者の中で、私が一番きれいな言葉でここを表現したいなって思って文章にしていますね。
ー素敵な言葉ですね。それが書く動機になる?
そうですね。
旅を文章にする魅力とは?
ー次回応募する方に対して伝えて頂きたいんですが、Rucocoさんにとって旅を文章にすることの魅力はなんだと思いますか?
今回はとても真面目な作品だったんですが、自分の文章を読んでもらって一番嬉しいのは、笑ってくれることなんですね。「職場で読んでいて吹き出しました」とか、そんな風に言ってもらえると一番嬉しいです。旅って楽しいじゃないですか。それを文章に残すって、やっぱり面白いですよ。
パラオで印象に残った悪ガキたち
ーペリリュー島のあるパラオで印象に残った出会いはありましたか?
パラオのコロール島で1泊したときにスーパーのエレベーターに乗ったんですね。そしたら、如何にも地元の悪ガキって雰囲気の4人組の少年たちが乗ってきたんです。
主人と一緒に身構えていたら、少年が「日本人?」と聞いてきたんですね。「そうだよ」と答えたら、ニコっと笑って「旅を楽しんでね」と対応してくれたんです。日本人というだけで、子どもの代にも親切にすることが伝わっているんだなというのを感じた瞬間でした。
旅って景色も食べ物も楽しみだけど、そこの人々との出会いってやっぱり大切で、パラオやマレーシアの人々って優しいなって印象がありますね。
ー好きな場所は何回も行ったりしますか?
そうですね。マレーシアもホテルのスタッフやダイビングガイドがフレンドリーで、彼らに会うのが楽しみで行くこともありますね。
ー旅をする動機って、そういうこともありますよね。
そうそうそう。
ー動機ということでは、クラウドファンディングでこの企画に多くのご支援をして頂きました。支援をして頂いた動機ってお答えできますか?
酔っぱらった勢いてポチっでした。
ーははは、最高です。
もうちょっと酔っていたら5万円にいくところでした。
ー危ない、危ない(笑)
だれかの旅は、いつかの私たちの旅でもある
ーこの企画をする動機は、表現したい人に、書いたものが形になることや展示をされることを体験してほしいという目的があって、作家さんご自身から貴重な話を聞けて、企画者としてとても嬉しく思っています。
いやいや、とても素敵な企画です。よくぞ考えてくれました!
ータビノコトバでは「だれかの旅は、いつかの私たちの旅でもある」という言葉をよく使っているのですが、Rucocoさんがあの文章に込めたメッセージは、僕はパラオには行ったことはないけれど通じるものがあって、きっと誰かにも通じるものがあって、そういう場としての機会になればいいなと思っています。
私も海ばかり旅をしてきたんですが、これでいいんだろうか?と思い始めたところなんです。じゃあ、どこへ行こうかと思ったときに、こういうタビノコトバのような本があれば、ああ、ここ行ってみようと思えるかもしれないですね。
ーいろいろな人の旅に繋がっていけば、最高ですよね。
ぜひ、季刊誌くらいにしてください。
続けていけるように、頑張ります(笑)今回はありがとうございました!
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第2回タビノコトバに掲載されているRucocoさんの作品
「タロイモ、持って行くかい?」
農作業をしていた若者が笑顔で声をかけてくる。雑貨屋で飲み物を買うと、おまけだよと、スタッフがキャンディをそっと袋に入れてくれる。
パラオ・ペリリュー島の人々は皆、親切で優しい。
宿の自転車を借りて島内散策。戦争の爪痕はそのまま。錆付いた戦車や戦闘機は個人商店の数より多い。
旧日本軍司令部にはトイレや台所といった生活の跡が生々しく残され、たくさんの千羽鶴が手向けられている。
いくつかはまだ新しい。慰霊に訪れる人が絶えないのだろう。
どこを見ても物悲しく、胸が締めつけられる。
さらに南へ下り、激戦が繰り広げられたオレンジビーチへ。白い砂浜には穏やかな波が打ち寄せていた。
多くの米兵たちも、この海岸線の闘いで犠牲となった。
彼らもまた、祖国から遠く離れたこの地で、愛する人を思いながら若い命を散らしたのだ。
やるせない気持ちで海を見つめる。何も知らずにいたら、のどかで美しいビーチに映っただろう。
けれど、水浴びをする親子もいなければ、釣り船の影すらない。ここはただ兵士たちの鎮魂を祈る場所。
いくつもの命が消えていった海の色は、あまりにも切ない。
ペリリューの島民がこの地で戦火に巻き込まれることはなかった。
小さな島に米軍の手が迫りつつあった時、共に戦う決意をした島の人々を、日本軍がそれこそ命がけで逃したのは有名な話だ。皮肉にもあの戦争が、パラオと日本の絆をより強いものとしたのも、また事実なのだ。
米兵たちの墓に十字架が立てられる一方、打ち捨てられた日本兵の亡骸は、戦争が終わり島に戻ったペリリューの人々の手によって葬られたという。
最後に慰霊碑に手を合わせ、平和記念公園からパラオの海を臨む。オレンジビーチの静けさとは対照的に荒々しい波が白い飛沫を上げる。どんな海を前にしても、兵士たちが思いを馳せるのは、水平線の遥か先にある故郷の地だったことだろう。
魂となった彼らは、もはや敵味方なく、共にこの島と世界の平和を見守ってくれているだろうか。
ペリリュー滞在中は快晴が続いた。空はどこまでも青く、海から吹く風が頬を撫で、太陽が燦々と降り注いでいたのは、あの激戦の日々も同じだったのに違いない。帰り道、民家の庭先で遊んでいた子供たちが無邪気に小さな手を振る。戦争の遺産を受け継ぎ、今も弔い続ける人々が暮らす島。
いつかまた、戻ってこよう。私は微笑みながら、大きく手を振り返した。
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