第1回・第2回タビノコトバで採用された作家による旅の連載エッセイ企画。
「採用作家が継続してアウトプットできる場を作りたい」
「第3回の応募者に、採用されればこんなことが起こると未来を想像してほしい」
そんな思いを込めて、連載企画をスタートさせました。
・これまでのタビノコトバを読み、この人の作品をもっと読んでみたいと思っていた人。
・第3回があれば応募してみたいと思っていた人。
・旅の文章が好きな人。
旅の文章を応募し採用された作家による書き下ろし作品を公開します。
今回はRyuji Atsumiさんによるテーマ「男と女」:レモンハート75.5 第4話
(前回までの話)
<連載作家>
茂木麻予:「旅で出会った人たち」
RuCoco :「あの頃の私が見た風景」
ざっきー:「旅の回想」
Miki:「あちこち旅して考えた」
黒田朋花:「空想旅行記」
Ryuji Atsumi:「男と女」
連載作家の作品が掲載されたタビノコトバは、こちらから購入できます。
https://tabinokotoba.stores.jp/
旅立ちの日の朝
それは別れの日の朝。
男はまだ暗いうちに始発電車に乗り込んだ。
始発から何か用事のある人がこんなにも大勢いるとは驚きだったが、蛍光灯で明るく照らされた車内で、恋人に向けて手紙を書く用事があるのは男だけのようだった。
女とはリムジンバスの降車エリアで待ち合わせした。
しかし、男は何とリムジンバスの本厚木行き乗車口で待っていたのである。
どうやら空港内の、「降車」とも「乗車」とも添えられていない、「路線バス」とだけ描かれた案内矢印は、所与の前提として、万人疑いを挟む余地なく、空港からどこかへ向かうバスの乗車口のみを意味していたらしい。
しかも、男が念のために尋ねたリムジンバスの係員は、本厚木とは千葉かと問い返してきたように、男の質問の意図を解するには経験が浅すぎたわけだ。
こうして男は、異国で生活を始める女の重いスーツケース2個を、カートに載せてやることができなかった。
しかも、女は女で預け入れ荷物に30kgの重量制限のあることを把握しておらず、24kgオーバー。
追加料金8万円也と言われ、唖然。
50分以内に不要不急の品物を段ボールに詰め直して実家へ発送せねばならなくなった。
重量がかさむ瓶づめの化粧品のストックはもちろん、熱帯雨林気候だからだろうか、上手い具合に収まっていた長ぐつも、ナイアガラの滝観光でしか使い道のなさそうな塩化ビニール製レインコートの上下も、レトルトのカレーも、あれもこれも段ボール行き。
そして、慌ただしく出国ゲートへと向かった。
唇
出国ゲートは二ヵ所あり、空いている遠い方に並んだが、たちまち彼らの後ろにも列が伸びていく。
女は二人の写った一枚を入れてあるのであろう写真立てと、鉛筆削りだという小さな地球儀と、手紙とを入れた紙袋を男に渡した。
男も手紙を女に渡した。
「写真撮れなかったね」
女が言った。
男は何かを思い出したように顔を上げた。
「後ろの人に撮ってもらおうか」
女が言った。
後ろの女性はパスポートを手にとろうとして両手がふさがっていた。
「前の人に撮ってもらおうか」
女が言った。
「すみません、写真を撮って頂けませんか」
男が声をかけると、二人連れの女性の片方が快く引き受けてくれた。
彼らは再び何かを考え込むように俯いてしまった。
後ろの人たちは全員がこちらを向いて待つ。
大勢のエキストラを前にして、往年のハリウッド映画のようにハグしつつも、極力迷惑をかけぬよう、半歩ずつ列を詰める。
プロの俳優ですらワンテイクでOKをもらえるかわからない芸当にチャレンジする勇気は、彼らになかった。
それでも男は、林間学校でフォークダンスをしたように、腕を横並びの女の肩へ回すことならできた。
それから、右を向いたとき、ほんの一瞬唇を重ね合わせることもできた。
二人は前を向いたまま黙った。
男は女の弾力を帯びた唇を記憶しておこうと、その感触を心の内で反芻した。
9カ月の間、数えられる程度に重ねてきた唇。
その印象、その前後のフレーズとともに。
何かひとつ思い返そうとしたその刹那、涙がこみ上げてきた。
涙を堪えるには、しっかりと前を向いて、遅滞なく歩みを進めることに集中せねばなるまい。
しばらくして女を見ると、彼女も目を赤らませながら、そして、頬には涙が伝っていた。
(続く…次回最終話です)
【連載作家】
茂木麻予:「旅で出会った人たち」
RuCoco :「あの頃の私が見た風景」
ざっきー:「旅の回想」
Miki:「あちこち旅して考えた」
黒田朋花:「空想旅行記」
Ryuji Atsumi:「男と女」
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