第1回・第2回タビノコトバで採用された作家による旅の連載エッセイ企画。
「採用作家が継続してアウトプットできる場を作りたい」
「第3回の応募者に、採用されればこんなことが起こると未来を想像してほしい」
そんな思いを込めて、連載企画をスタートさせました。
・これまでのタビノコトバを読み、この人の作品をもっと読んでみたいと思っていた人。
・第3回があれば応募してみたいと思っていた人。
・旅の文章が好きな人。
旅の文章を応募し採用された作家による書き下ろし作品を公開します。
今回はRyuji Atsumiさんによるテーマ「男と女」:(1)レモンハート75.5 第1話
<連載作家>
茂木麻予:「旅で出会った人たち」
RuCoco :「あの頃の私が見た風景」
ざっきー:「旅の回想」
Miki:「あちこち旅して考えた」
黒田朋花:「空想旅行記」
Ryuji Atsumi:「男と女」
連載作家の作品が掲載されたタビノコトバは、こちらから購入できます。
https://tabinokotoba.stores.jp/
うら寂しい夜
駅から家路へと急ぐ、勤め人の群れにまぎれた男は、ふと、脇道にそれると古びた建物に入った。
靴音をリノリウムの床に響かせながら突き当りまで進むと、ミラーフィルムの貼られたガラス戸を押し開く。
音楽が溢れ出てきたが客はいない。
遠慮がちに隅の方へ腰かけると、痩せぎすの店主がカウンター越しに顔を上げた。
店主は意外そうな表情を浮かべると言った。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
男は不意に外国語で道を尋ねられたかのような顔をすると、しどろもどろな返事をテーブルに向かって口ごもった。
元気であるかどうかは、男にとって苦手な質問のひとつであるようだった。
しかし、店主は特段、気に留めはしない。
皿を洗っていると男が注文を入れた。
「ジントニック」
皿の水を切りながら呟くように復唱する。
「ジントニック」
店主がウィルキンソンの栓を抜いたとき、男が質問した。
「これもジャズなんですか?」
店主は手元を止めると、耳を澄ませるような沈黙のあと、返事する。
「これはカントリーですね」
男が尋ねたのも無理はなかった。
なぜなら、客がいないときと、客が来ないときと、ごく稀に偏屈な客を相手するとき以外、ここはジャズを掛ける店だから。
店主が今し方自分のためだけに聴いていた曲は、JOHNY CASHの”HURT”だった。
男はもちろんそれを知らない。
男はいつものように、無言でそっと差し出された酒をじっと見ている。
やがて、ひと口含むと思った。
いつかどこかで、自分を甘くしたらどうなるだろうなどと一度も考えたことのない、生(き)一本ドライなジントニックと巡り合いたいと。
そうしたら、それだけで元気になれるだろう。
頼んだのでは駄目だ。
言われないと出せないような店のグラスには、多分、甘さが染み込んでいるだろうから。
組んだ腕をカウンターに載せたまま男が言った。
「ガールフレンドが出来ましてね。まだ3カ月なんですが。30歳のOLでしてね」
そう言いしな、男の方が意外そうな顔をした。
店主が浮かべた、華やいだ笑みには賞賛まで込められていたから。
まるで、一浪していたかつての教え子から、予想以上の吉報を受けた教師のように。
もっとも、確かにこの一年ばかり、この男に恋人はいなかったかも知れない。
男はもうひと口飲んで喉を湿らせた。
3ヶ月
3ヶ月。
男は期間を表す数字そのものはよく覚えていたが、今では4カ月と言うべきかも知れなかった。
いつだったか、その恋人から電話で今日は何の日か知っているかと問われたのだった。
答えられないでいると、自分たちが付き合い始めてから3カ月目との由。
男は、企業の四半期決算じゃあるまいしと一笑に付したのだが、はて、3カ月前の何をもってそう言っているのか思い当たる節がないので聞けば、その答えとは別の、ある情景が浮かんできた。
その日は夜だった。
二人が会うのはいつも夜だった。
繁華街からの帰り道、離ればなれとなるターミナル駅に向かって足早に歩いているとき、女が言った。
「私たちの関係は何なの?」
「何って」
「付き合ってるの?」
「付き合ってると思ってるよ」
「私はあなたの何なの?」
「恋人だと思ってるよ」
すると男は睨まれたのだった。
相手が怒るようなことを言ったつもりはなかったので、呆気にとられながらも、男と女は駅に向かって足早に歩き続けたのだった。
「その日はユイが僕を睨んだ日だ。記念すべき日ではないよ。記念すべきは、僕らが出会った日だ。一年後のその日はお祝いしよう」
電話でこう言ったのは、3ヶ月よりも4ヶ月よりも、もっと前だったのではないか。
さらに、男はいつか不平不満を受けた折に、自分の方からメールをしていたことも覚えていなかった。
「ユイは僕の恋人っちゅうことで」
女はこのメールを起点に3カ月と言ったのだが、男はわかっていなかった。
【連載作家】
茂木麻予:「旅で出会った人たち」
RuCoco :「あの頃の私が見た風景」
ざっきー:「旅の回想」
Miki:「あちこち旅して考えた」
黒田朋花:「空想旅行記」
Ryuji Atsumi:「男と女」
[…] 第2回採用作家Ryuji Atsmiの連載 「男と女」(1) レモンハート75.5 第1話 […]
[…] 第2回採用作家Ryuji Atsmiの連載 「男と女」(1) レモンハート75.5 第1話 […]
[…] 第2回採用作家Ryuji Atsmiの連載 「男と女」(1) レモンハート75.5 第1話 […]
[…] 第2回採用作家Ryuji Atsmiの連載 「男と女」(1) レモンハート75.5 第1話 […]
[…] 第2回採用作家Ryuji Atsmiの連載 「男と女」(1) レモンハート75.5 第1話 […]