第2回採用作家・茂木麻予の連載 「旅で出会った人たち」(2) ハルビンの乾杯

第1回・第2回タビノコトバで採用された作家による旅の連載エッセイ企画

採用作家が継続してアウトプットできる場を作りたい
第3回の応募者に、採用されればこんなことが起こると未来を想像してほしい

そんな思いを込めて、連載企画をスタートさせました。

・これまでのタビノコトバを読み、この人の作品をもっと読んでみたいと思っていた人。
・第3回があれば応募してみたいと思っていた人。
・旅の文章が好きな人。

旅の文章を応募し採用された作家による書き下ろし作品を公開します。

 

今回は茂木麻予さんによるテーマ「旅で出会った人たち」:(2)ハルビンの乾杯

<連載作家>
茂木麻予:「旅で出会った人たち
RuCoco :「あの頃の私が見た風景
ざっきー:「旅の回想
Miki:「あちこち旅して考えた
黒田朋花:「空想旅行記

連載作家の作品が掲載されたタビノコトバは、こちらから購入できます。
https://tabinokotoba.stores.jp/

茂木麻予の連載記事一覧
(1) ふざけた男
(2) ハルビンの乾杯

ハルビンで働いていたときのこと

十年近く前のこと。
中国の最北東、ロシアと国境を接する黒竜江省の省都ハルビンを、仕事で頻繁に訪れていた時期があった。
私はその頃、ハルビンに子会社と工場を持つ日本の会社で、社長秘書として働いていた。

ハルビン出張の間、社長と私は、歴史的なロシア建築と石畳の続く目抜き通りにあるホテルから、郊外の子会社へタクシーで通勤していた。

一歩郊外へ出ると道は舗装されておらず、黒土地帯特有の真っ黒な泥水が溜まっている。タイヤがデコボコに踏み込むたび、タクシーは上下左右に激しく揺れ、よくマンガみたいに天井に頭をぶつけたものだ。

中国の急激な経済成長を反映してか、道すがら至る所で、大規模な開発工事がお祭り騒ぎのように進められていた。

砂ぼこりと泥はねで汚れたタクシーの窓からは、整然とたち並ぶ建設途中の高層マンションと、瓦礫と泥の山に埋もれかけた貧しい村々が、鋭いコントラストをなしているのが見えた。

ハルビンで張さんと日本人社長と一緒に働く日々

助手席の張さんが、両親と子供の家族全員で暮らすための小さなマンションを、最近やっと購入したのだと社長に言った。
張さんは現地子会社の管理責任者で、中国語通訳だ。つやつやの丸顔、太く短い首、清潔に刈り込まれた豊かな白髪は乱れを知らない。

小さく形のよい目に穏やかな笑みをたたえて、中国語、日本語、ロシア語を流暢に操る。

社長秘書の私は、朝から晩まで社長と張さんと行動を共にしていた。

朝食前、部屋へ社長を呼びに行くと、張さんはすでにそこにいる。
長い一日が終わり、夕食後部屋へ戻る時、張さんは社長に頼まれて、マッサージ、個人的な買い物、夜の街へ出かけるお供をするため残る。

社長の滞在中、張さんは週末も休まず、眠るためだけに郊外の自宅へ帰っていた。

高齢の社長は、時おり中国の人を差別したり蔑んだりするようなことを言うことがあった。そういう時、私はドキリとして思わず張さんの顔を見てしまう。

ところが当の張さんはへらへらと笑っているのだ。「その通り」と社長に同意することさえある。

私はといえば、そんな社長と張さんのことを、冷たい軽蔑の目で見ていたと思う。
私は張さんのことが好きになれなかった。張さんの方も、私に話しかけてくることはほとんどなかった。

初めて乾杯した夜のこと

毎回、一週間ほどの出張の最終日。
子会社の社長、各部門の責任者、張さん、社長と私とで、市内のレストランで夕食をとるのが恒例だった。
その日は夕食後、社長が先にホテルへ帰ると言い、張さんと私に皆と残るよう指示すると、お酒をしこたま注文して行ってしまった。

席に戻るなり、張さんが驚くほど生き生きした声で言った。
「茂木さん、乾杯してください!」

誰かに「乾杯してください」と言われたら、言った人も言われた人も杯を空けるというのがここでのマナーだ。私は返事をして紹興酒をグイッと飲み干した。張さんもウィスキーを飲み干し、見たこともない満面の笑顔で、いかにも楽しそうにこちらを見ている。
張さんの変わりように私は戸惑った。

その夜は社長がいない解放感からか、皆互いに乾杯しては、次から次へ強いお酒を空けていった。一緒に働く仲間同士の、親しみのこもった笑顔のたえない夜だった。

宴もたけなわの頃、張さんがニコニコしながらウォッカの瓶を片手に私のところへ来てくれた。
ほぼ初めての張さんとの会話。しばらくして張さんが穏やかな調子で言った。

「茂木さん、僕らはサラリーマンなんですよ。嫌なことも我慢して働いて、それでお金をもらえます。僕の娘は博士号を取るために、大学で一生懸命に勉強しています。家族の誇り。だから僕は頑張ります。茂木さんも頑張ってください!」

私は顔を上げていられなかった。
張さんは、どんなに理不尽で屈辱的なことも、家族のために我慢して笑っていたのだ。なのに私は上辺だけを見て、軽蔑の眼差しを向けていた。
張さんはそれを知っていて、今こうして未熟な私を諭し、励ましてさえくれている。

「茂木さん、乾杯してください!」
張さんがひときわ明るい声で言った。

私は顔を上げ、張さんとグラスのウォッカを飲み干した。

 

茂木 麻予
第1回(Message, One percent)、第2回(A hui hou)で掲載
ニューヨーク在住。気分はいつも旅の途中
連載記事のテーマは「旅で出会った人たち
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茂木麻予の連載記事一覧
(1) ふざけた男
(2) ハルビンの乾杯

連載作家の作品が掲載されたタビノコトバ

連載作家の作品が掲載されたタビノコトバは、こちらから購入できます。
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過去の採用作家による連載

<連載作家>
茂木麻予:「旅で出会った人たち
RuCoco :「あの頃の私が見た風景
ざっきー:「旅の回想
Miki:「あちこち旅して考えた
黒田朋花:「空想旅行記

第1回第2回タビノコトバ掲載作家の茂木麻予さんをインタビューした記事

【作家・支援者インタビュー①】茂木麻予が語る「タビノコトバ」

【作家インタビュー①】茂木麻予が語るタビノコトバとは(前編)

【作家インタビュー①】茂木麻予が語るタビノコトバとは(後編)

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