【何気ない旅からタビノコトバは生まれる】家族旅行の思い出

家族で出かけた思い出

家族旅行で印象に残っているものと言えば、僕が19歳のときに家族5人で九州へ行った旅なのかなと思う。

5つ離れた兄が当時は福岡に住んでいて、正月に帰省できないということから、それならみんなで遊びに行こうかと年末年始に福岡へ向かった。

年末の福岡旅行

12月30日に福岡に着き、家族が合流した。

せっかくだから車に乗って大分の別府温泉へ行こうということになっていたのだけれど、

福岡に住んでいた兄がその直前に免停になってしまって、運転嫌いの父がハンドルを握ることになった。

 

当時の父は、昭和の父そのもので、放っておくと一日中居間で酒を飲んでは、母に肴を作ってもらい、自分では一歩も動かずに強い口調でおかわりを要求をするようなことがよくあった。

朝から晩までよく働いては、ビールと長嶋茂雄を生きがいのようにして暮らす無愛想な人だった。

そして、運転が嫌いだった。
別府温泉はとても心地よくて、久しぶりに家族が揃った夜はとても楽しかった。

家族が揃って母が嬉しそうだったことをよく覚えている。

突然の大雪

翌朝、目が覚めると一家が騒がしかった。雪が降ったらしい。
雪か。九州でも雪も降るんだな、そんな感覚だった。
だが、事態はそんな簡単なものではなかった。

まず、予想を超えた大雪だった。
九州でこの積雪量はかなり珍しいらしく、温泉宿の仲居さんたちが驚くほどに深く積もっていた。
車はというと、もちろんそんな事態に備えているはずもなく、ノーマルタイヤ。
そして、泊まった場所はというと山間にある宿だった。帰るには、坂を登ったり降りたりしなければいけない場所だった。
年末のため、当然温泉宿は満室。延泊はできそうにない。

そんな条件が重なって、車で無事に福岡に帰れるのだろうかと不安になってきた。そうしている間にも雪はどんどん積もっていく。
どうにかチェーンだけは調達することができたので、家族会議の末、福岡に戻ろうという話になった。
さて、誰が運転しようか。みんながそう思っていたときに、
「一家の命運をかけて、私が運転します」
父がこうつぶやいた。

 

と、父さん、かっこいい…。
その時の父ほど、責任感に満ちて男らしいと思ったことはなかったかもしれない。
雪の積もった悪天候なコンディションを、運転嫌いな自分が、一家の命運をかけて自ら運転すると宣言した。
なんと素敵なのだろうか。
父とは、こういう存在のことを言うのだろう。

 

10分後、宿からたった200メートルほどしか進んでいない上り坂の途中で、
アクセルを必要以上にふかしすぎた結果、
チェーンがあっけなく切れてしまって、車は立ち往生していた。
一家の命運をかけた運転は、たった3分で終了した。
10分前の、あの父の勇姿を思い出して、
父を除く家族がそろって笑っている光景は、ひどく滑稽で美しかった。

 

父が”一家の命運をかけて”運転をしてくれたおかげで、家族揃って、ピンチの状況で笑って話すことができた。
家族旅行を思い出すときに、僕はこんな話を思い出す。

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